今、ここ、どこか32 Rin
- 川上 まなみ
- 3月28日
- 読了時間: 3分
更新日:3 日前
二十代の文体と三十代の身体 長谷川麟
最近、自分を悩ましているテーマのひとつに、自らの文体の問題がある。
これはバラエティ番組を見ていても感じる違和感なのだが、二十代のうちにテレビで活躍してきたお笑い芸人が三十代になり、それでもなお二十代の頃のノリを続けているのを見ると、見ていられないときがある。ノリは若いのに、芸人の身体は確実に歳を取っている。その身体とノリが、どこか噛み合っていないように見える瞬間がある。
彼らが二十代の頃、その身体に則して開発してきたキャッチーな話し方や雰囲気には、ある種の賞味期限があるのではないかと思う。もちろん、それは芸人によって長短があるだろう。しかし、M-1に向けて仕上げてきた漫才などを見ると、若い身体にフィットする形で完成度を高めてきたノリから、簡単には抜け出せないのだろうとも思う。身体は確実に歳を重ねていくのに、芸だけが二十代のままであるように見える。そのアンマッチさに違和感を覚えることがある。
それは短歌でも同じことのように思う。自分が二十代のとき、新人賞を目指して獲得した文体というのは、ある意味で社会的な責任を何も背負わず、親の扶養のなかで、自由に悩み、自由に苦しむことのできた、いわば青春の中にいた自分にマッチする文体だったのだと思う。
しかし歳を重ね、結婚し、将来的には子供を持つことになるかもしれない、そんな三十代になった今、現実的な課題について無邪気に悩み続けることは実際ない。現実と理想のあいだで折り合いをつけ、なるべく早く妥当な選択肢を選ぶことが求められるし、一家の大黒柱とか、そういう感覚はないけれど、妻との生活をなるべく平穏に、平和に続けていくために、自分がしっかりしないといけないと思う場面は当然増える。社会人としても、生活者としても、紛れもない大人になってしまったのだと思う。
無形の恋に悩むことも少なくなり、友人たちは現実的なパートナー探しのために結婚相談所へ足を運ぶ。資産形成、保険、健康、妊活、子育て、親の介護、そういった個人的な課題も当然のことながら、社会的な課題についても同様のことが言えると思う。例えば私は、昨今の世界の動向に対して、純粋に「戦争反対」「世界平和」を掲げられているのだろうか。正直にいって、大学生の頃のように真っ直ぐに、それらを掲げられている自信はない。現実の地政学的リスクや、日本の国力低下といった問題を前にして、日本にとって最適な選択とは何なのか、そんなことにも思いを巡らせ、重心が少し現実路線に傾いていることを感じる。
そんな生活を詠む文体が、これまで青春性を支えとしてきた無邪気な文体のままで成立するのだろうか。それは、おそらく難しい。
ただ同時に、これまで自分を支えてきた文体を簡単に捨てられるわけでもない。実際、文体というものが、これまでの自分そのものでもあるから。文体を更新するということは、どこかで過去の自分を裏切ることでもあるのかもしれない。
それでも、三十代の生活に見合う文体を獲得しなければ、自分の短歌に未来はないのだと思う。第一歌集に続く、第二歌集として、歌人としての自己(文体)を獲得するには、まだまだ時間が必要なんだと思う。






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