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今、ここ、どこか35 Hika

  • 執筆者の写真: 川上 まなみ
    川上 まなみ
  • 4月18日
  • 読了時間: 3分

飽きてからの短歌入門 武田ひか



何年か前に、短歌の入門書が多数出版された時期があったと記憶している。わたしが世の中に存在して欲しいと思っている入門書はまだ見たことがない。


長らくどこかから出たらいいなと思っているのは、『飽きてからの短歌入門』とでもいうべきコンセプトを持った本である。


短歌は、その短さゆえに作りやすいけれど、どうにも人がすぐ飽きてしまう分野なのではないだろうか。いろんな理由をつけてひとは短歌からすぐに離れてしまうもので、その理由が「飽きました」ということの言い換えであるケースは少なくないと肌で感じている。どうなのだろうか。意識してにせよ、無意識にせよ。


最初の頃は誰もが熱心に取り組み、こまめにメモを取り、たくさん歌を読んで作るものである。しかし、時間が経つにつれて、いつの間にか実作はおろか、全く読みもしなくなってしまう人はたくさんいる。例えば、笹井宏之の短歌に初めて触れた時のインパクトは凄まじかった。しかし何度も目にするうちに鮮烈さに慣れて、かつてのように面白さを感じられなくなっていくことは十分にあり得る。私自身も、初期の新鮮な気持ちのままで笹井の歌を楽しめているかというと、決してそうではない。そのように〈それは世界中のデッキチェアがたたまれてしまうほどのあかるさでした〉に心震えたとしても、もういいかなーと思って一年とか二年とかで辞めてしまう人はたくさんいると思う。


それを「実は短歌がそれほど好きではなかったのだ」と片付けてしまうのは簡単だ。だけど実際はそうではないだろう。ほんとうはそこに至るまでに飽きるまでの複雑な要因があるのではないか。「実は短歌がそれほど好きではなかった」ひとがやめて短歌が好きで好きでたまらないひとだけが残るより、一人でも多く、長くやっていけるほうがよいに決まっている。


しかし関心を抱いているのは、短歌に飽きないことではない。「飽きてしまった上で、どうすれば長く続けられて、短歌との関わりをより豊かなものにしていけるのか」ということである。さらに飽きてやめるのは当人にとってはネガティブなことではない場合もあると思うけど、周りで短歌を楽しそうにやっていた人がいなくなっていくのは単純に、個人的に、おもしろくない。


この飽きという壁をどうにか乗り越え、その先へ進む方法があるはずだと睨んでいる。わたしも飽きていないのかどうかは自分でもよくわからない。けれども笹井の歌集を読む頻度は減ったとしても、わたしは短歌を続けているし、わたしより歴の長いひとたちはきっと飽きてからもその先のおもしろさをがんがん見つけているという確信がある。いったん飽きてからも短歌はまだまだ楽しみようがあるのは疑いようがない。


ということで今読みたい入門書は『飽きてからの短歌入門』。短歌に飽きてしまっても、短歌を続けている先輩の歌人にかっこいい私家版でだしてほしい。


 
 
 

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