今、ここ、どこか36 Yuuki
- 川上 まなみ
- 4月28日
- 読了時間: 5分
更新日:4月30日
2026年3月の日記 平尾勇貴
2026/03/XX
数か月の観察を経てわたしは、銀座線の上野駅からの帰り道にあるスーパーの褐色コーナーは20時過ぎたあたりに割引シールが貼られるということを、発見し生活の便利のためにみずからの記憶に書き込んだ。
2026/03/XX
高橋源一郎『私生活』(800円)
2026/03/XX
仕事終わりにカフェ・ベローチェで齋藤芳生『牡丹と刺繍』を読む。
ああ雲は天才にして大真面目わたくしを呆けさせるどか雪
〈天才にして大真面目〉と書くことによってはじめてあらわれる雲の一側面があり、それは雪雲がふくみもつ途方もない質量だとか、ありとあらゆるものの上に無差別に降る容赦のなさだとかを言っているのかもしれないと想像するけれども、わたしじしんは雪のよく降るところで暮らしたことがないからか、わからない。やはり〈天才にして大真面目〉がおもしろく、ふつうは傑出した偉人を(わたしとはちがう)というニュアンスを込めながら形容する言葉なのだけれど、この一首では、偉人に対する距離の取り方を適用することで雲を把握している。どか雪も自然現象のなかでは時間間隔が限定的なので、より人間っぽく思えるのだろう。
胡瓜一本大きく曲がっていることのうれしもまずはそのままかじる
〈うれしもまずは〉のような短歌が上手い人の余裕の斡旋がずっとかっこよくみえ、この余裕をもつためにわたしはあと何十年かかるのだろうというくらくら目眩みを起こしそうな気持ちになる。
かなしみはふりみふらずみ石段に濡れている銀杏黄葉あかるし
秋の部屋は明るし鸚哥のくちばしがまろき種子割る音もあかるし
古語も歌語も遣うべからずはつらつと授業料月額改定のはなし
莢爆ぜて藤の実が飛ぶ寒林を歩み歩みて一首をも得ず
教室の床に散らばるクレヨンが薬莢のよう 拾え、と命ず
2026/03/XX
夜の渋谷駅前スクランブル交差点。何故か信号は点灯しておらず、歩行者天国の様相をなしている。
交差する横断歩道の交点にひとりの男が佇んでいる。
「昨日降っていたのは……」
男は少し考え込む。
「……雪だ」
男はいいアイデアを思いついたようにして顔を上げる。
通行人を呼び止めようとして軽く右手を挙げ目を合わせるような仕草をする。
「あの、僕に雪を教えてくれませんか?」
通行人Aは怪訝な顔でスルーする。男は別の人に声を掛ける。
「あの、すみません」
通行人Bは音楽でも聞いているのだろうか、気づかない様子で男の側を通り過ぎる。
「すみません、僕に雪を……」
通行人Cは男を一瞥したが、表情を変えずに通り過ぎていく。
男はだんだん怒りが湧いてきて、大きく息を吸い込み、天に向かって叫ぶ。
「誰かー、僕に雪を教えてくれませんかー?」
2026/03/XX
友人Aがファッションブランドを立ち上げたので、その打ち上げに参加するために下北沢へ。共通の友人Bとともに花束とお祝い品の漫画を現地調達する。会場は雑居ビルの二階のバーを貸切っており、おそらくは立ち上げメンバーの友人やバイヤー、モデル、カメラマンであふれていた。わたしは建物の屋上でタコスをつまみながら、たまたま居合わせた古着屋Aがおもしろいものを見せてくれるというので是非と応えたら、年季が入って何枚か剝がれているような当時のファッション雑誌を紹介しながら80年代に流行った(それもヨウジやギャルソンみたいなモードではなく、アメリカから来た、いまになっては時代の陰に隠れてしまった)ドメブラの魅力を熱く語ってくれ、ほとんど意味が分からなかったものの、意味の分からない熱量の高さというものはこの世界のなかにあるもののなかでももっとも素晴らしいものだと思っているのでその後ずっと嬉しくなってしまった。
2026/03/XX
大江健三郎は『万延元年のフットボール』の「本当のことを云おうか」というタイトルを付した章で、小説家は言葉や行為がフィクションの枠組みに守られているからどんなに露悪的な、あるいは破廉恥なことを書いたとしても、小説として書く以上それは解毒されてしまい本当のことが言い得ないのではないか、という問題を登場人物に語らせたのだけれど、短歌はどうだろう。
短歌研究2022年4月号の「坂井修一vs斉藤斎藤」対談を読んでいたら、斉藤は「私は短歌がほかのジャンルと違うのはその一人称性だと思っていて、三人称的に神の視点で描くものに短歌がなってしまったら、コンテンツ力でほかのジャンルに勝てない」と言い、わたしはそうなのかもしれないと思い、数日過ごしていたらしだいにその重みが増してきているようにおもわれ、立ち止まって考えてみることにしたのだった。大江の批判を短歌にあてはめてみるなら、短歌の急所は作中主体で、読みにおいて作中主体が成立してしまった後には、短歌もまた形式上ほんとうのことを言えないのではないかというのが以前得た直感だったが、その作中主体の成立のしかたには謎があり、その手がかりとして小説が成立する際の「語り手」概念が(三人称とふかくかかわるかたちで)あるのではないか、というアイデアを今回あらたに得た。
2026/03/XX
NOBROCK TVを観てから風呂に入ったら予感なく降ってきたけれども、しかしあまりに鮮度が低いのでリリースせざるを得ないネタ。
「南極へ巡業することになってしまったあるある探検隊」
▶︎西川くんが左手を挙げたままぶるぶる凍えている





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