今、ここ、どこか12 Hika
- 川上 まなみ
- 10月25日
- 読了時間: 4分
長髪の日記 武田ひか
さいきんはチェコに一人暮らしの部屋を借りることができ、バスタブに湯を貯められるようになるという急激なピークを生活に迎えた。
バスタブは浅い。両膝を折って坐禅のような形を取り、寝転ぶ姿勢をとってやっと肩まで浸かれるくらい、というところか。膝小僧はどうしても水面から顔を出してしまい、ときどきは体勢の変更を強いられている。それでも毎日風呂を溜めるほどに嬉しく、文章を十数ページゆっくりと読み、書きたいもののきれはしを掴むのにこれ以上の場所は我が家にない。この文章も膝を曲げ、薄い湯に浸りながら書いている最中である。湯といえば
「草食んでぢつとしてゐる夜の猫とほいなあ いろんなところが遠い」『温泉』山下翔。
湯に浸かりつつ読むものといえば、好きな音楽家のエッセイであったり、友達と読み合わせる新書だったりするけれど、ぽろぽろと更新される友達や顔見知りの日記もまた楽しみである。ダイエットの経過に沿わせて日記を書いている友達や、息子との交流が時々登場する歌友の日記。どれもタイムラインに現れるときは、水鳥が目の前でひらめくように嬉しい。みな日記を落としたり毎日書いたり各々の歩調で連ねる中に、日記の更新ペースが落ちてきた長髪の友人がいる。
映画学校に綺羅星のごとく通い出した彼は、正社員としての営業活動、執筆活動、そして映画監督としての活動で習慣だったはずの日記を書けないほどに忙殺されている。わたしが彼にかける言葉としては「寝るな、全力でやれ」と言ってやりたいところ、まあ長い目で見た時には前半を落とした方がよいという気遣いで「全力でやれ」と言わざるをえない。彼は坊主の高校球児だったので「全力」の意味を確かに掴んでいる。
ところで彼は一社目の同期で、就活をロン毛で乗り切ったタフガイ。入社後も「やりたく無いことはやりたくない」と臆せず発言できる精神の持ち主である。同期とのミーティングにはおさまらず勢い余ってその言葉は社長にさえ向かっていた。素直さを押し付けられたすえの従属を誰もが受け入れてしまう社会で、その気高さはきわめて得がたく、さらには常人よりも明らかに地力がある。わたしは真っ直ぐに彼を尊敬しているうえに、居候させてもらった恩もある。そんな彼が今映画を撮っているのだという。
そもそも彼を知る者にとっては映画監督になると言われてもそこまで驚くべき進路ではないのかもしれない秋が来ている。もともと映画が好きで、大学ではタルコフスキーを研究していたらしい。彼の勧めるタルコフスキーや『牯嶺街少年殺人事件』をことごとく断ってきた身としては彼の映画観について何も言えないのだが、つまらない映画であってもなお燦々と光る女性俳優の魅力にのみ、意見の合致をみていた夜が記憶に新しい。そんな彼が今映画を撮っているのだという。
彼については自分の日記にも短く書いた。さていつからか、彼の長髪と映画監督になる挑戦を思いながら、なにげなく日記に付記した「人生を曲げる」という一文が妙に胸でひびいているのだった。自分で書いたはずなのに、いつも初めて会ったような顔でこちらを見返してくる初々しい言葉である。
何かが曲がって、軋む音が聞こえている。その音は耳障りなようで心地がいい。振り向けば、音を放っていると思われる軸の、まさに曲がった部分からまばゆい光が散っている。祝日のがらすを通したような、やわらかな強さ。鼓動は不思議と落ち着いているが、しかしなにか高揚を誘われていることだけはわかる。
光はこちらの足元までとどく。曲げてみたくなる。ふと自分の体をみて、おそるおそる曲げてみても何も鳴らないが、思い切ってグッと力を加えると、鳴った。さっき聴こえたものとは違った音だが、しかし高揚、より熱を帯びている。もう一度鳴らしてみようと思って、ごくりとつばを飲みこむ。逡巡のあいだにも向こうから届く光はどんどん鮮やかさを増していくのをやめない。
かくして曲がっているさなかの彼の人生がどこまでも曲がって、折れそうなところでも折れず、しなやかに伸び伸びやれる将来を願いながら、とにかくまとめれば、映画を観るのがたのしみ。その一言につきるだろう。私もただひたすら素朴に、頑張ろうと思い直す。河合優実さんと映画を撮る話がもちあがれば、ぜひ打ち上げの飲み会には呼んでほしいとも言ってあるが、しかし映画を楽しみにしているのは限りない本心である。





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