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今、ここ、どこか29 Manami

  • 執筆者の写真: 川上 まなみ
    川上 まなみ
  • 3月7日
  • 読了時間: 3分

いなくなったあと 川上まなみ

 

 最近よく、死について考える。というのも、結婚する前は、私は割と私がどうなってもどうでもいいと思っていた。しかし、旦那がよく「俺はまなさんよりも長生きする」とか、「俺より先に死なないでくれ」とか言うので、その思考に引っ張られ、最近はたまに自分の死んだあとの世界を想像してみたりする。私が死んだら、私の友達が私の思い出話をして笑ってくれるだろう。私の夫は号泣するだろう。なぜか、死んだ私がその世界に(成仏できずに?)いて、泣いている人にも悲しんでいる人にも声をかけられず、困っている、という想像までが一括りだ。私が死んだとき、きっと喜ぶ人だっているだろうに、私の想像の中ではちゃんとみんなが悲しんでくれて、私というのはなんとエゴイストなのだろう、と笑う。


 死を怖いものだとは思わないけれど、私の死を悲しんでくれる人がいるだろうから、死とは悲しいなとは思う。でも、どうしようもないことだとは理解している。人はいつか死ぬ。私はそういうところ、けっこう冷めている。でも、だから一生懸命生きるってなんてかっこいいんだろう。


 アイルランドに留学中、一人の女性に出会った。奇跡、しかし私はこの人に出会うためにここに来たのかもしれない、と思うような出会いで、その人はアイルランドで有名な作家だった。そして出会ったときにはもう、先は長くないということを彼女は自分自身で知っていた。末期の癌、痛み止めを服用していて起き上がれない日も多かった。


 彼女の話す英語はほとんど理解できなかったのだが、私たちはアイルランドには珍しい晴れの日、彼女の自宅でお茶をしながら二人でいる時間を味わった。この人が過ごしてきた果てしない長い道のりを私は少し共有してもらって、もうすぐ死んでしまうだろうこの人の、ほんの最期に、私と会ってくれる時間があることを不思議に思いながら、テーブルに座った。彼女の紡いだ言葉のひとつひとつを知らないまま、しかしその長い時間をその果てしなさを美しさを見せてもらったようだった。


 お礼に、私は彼女に向けた短歌を(その英訳を含めて)プレゼントした。


 私が日本に帰国してすぐ彼女は亡くなった。作家の彼女は、この世にたくさんの言葉を残して。私は、彼女の苦しみを知らないので、何も分からないけれど、しかし彼女はこの死を受け入れるために言葉を紡いだのではないかとを思った。


 あの時私が会っていたのは、私がもう二度と会えない人だった。あの時、死をゆるやかに受け入れながら彼女が語ってくれたことを私はついぞ理解できなかった。


 死ぬときは一人なのに、誰のことも連れていけないのに、なぜ私はこうして結婚して家族を作ろうと思ったのだろう。どうして、絶対悲しむであろう彼の隣で、自分の死を想像するのだろう。どうして人は、死を受け入れ生を受け入れなのに生きていくことを決めるのだろう。


 私がいなくなったあと、誰も悲しまないといいのだけれど。それが難しいというのは承知で、私を大切に思ってくれる人たちがきっと悲しんでくれるだろうから。死を悲しんでくれる人がいるということは、幸せなことだ。そういう人たちをもっと大切にして生きていかなければ。そして、私が私を殺しながら生きながら書いてきた言葉がちゃんと残りますように。

 

土葬という死のあとがあるこの国へときおり涼しすぎる風吹く/川上まなみ #Dublin4 at National Botanic Garden



 
 
 

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お土産屋さんのマグネット 武田ひか  このエッセイも今回込みであと二回で終わるらしいが、なにも書きたいことが思いつかない。最後に書きたい内容は一つ決まっていて、しかし準最終回の今回はなにもない。そして終わりが近づくとおもうと肩の力が妙に入るような心地がする。  さいきんのことを書こう。友達がチェコに遊びに来てくれたのだった。今回の旅行では足を伸ばしてウィーンに遊びにもいった。ウィーンまでは電車でだ

 
 
 

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