今、ここ、どこか13 Manami
- 川上 まなみ
- 11月1日
- 読了時間: 3分
更新日:3 日前
こころ 川上まなみ
アイルランドから急遽日本に帰国したのが七月中旬。アイルランドにいた時は、帰国の準備をとにかくてきぱきと進め、会いたい人に会いに行き、部屋の引き渡しや仕事の引継ぎをしていたので気づかなかったのだが、どうやら私の中にはいろいろな感情が溜まっていたらしい。
その感情に疲れて、帰国してからは一か月ほど何もできない日々が続いた。文字通り「何もできない」だ。やることはたくさんあるはずなのに、何もできない。日本での仕事を見つけなければならない。留学のための保険を解約しなければならない。仕事として依頼されていたウェブサイトを更新しなければならない。しかし、一切手につかなかった。時間が無かったわけではなく、とにかくやる気が起きなかった。一日中、ソファの上でうとうとして過ごし、「ああ、今日も何もしなかった」と思いながら夜に眠る。朝はだらだらと起きる。私の人生にこんなにたっぷりとした時間があったのかとびっくりするほど、何もしない日々が続いた。
教員の頃、「勉強へのやる気が出ません。」という相談を中学生から何度も受けていたのだけれど、その回答として「机に向かって一問だけ、始めてしまえばやる気は付いてきます。」と必ず言っていた。人間というものは、始めてしまえばあとはするすると勉強はできる。やる気スイッチは、「少しだけ取り掛かってみる」ことだと私は知っている。私はそれを知っているから、「始めてしまえば…」と思っていた。簡単だ、と。しかし、私は始めることができなかった。ケータイすら持つことができない。ただ寝転がって、ぼんやりするだけ。そうやって時間を過ごしながら「ああ、鬱かもしれないな」と思った。本当に思った。
自分がここまで壊れていくことが怖くて、ある日恋人に「なにもできない。」と電話で泣きついたことがある。それが苦しかった。急に泣き出して「なにもできない。」という私に、恋人は驚いてどうすればいいのか分からず困っていた。そして、「休む期間なんだよ。」と言った。「休むって、もう十分休んだの。身体は疲れてない。」そう怒ると、「心もだよ。」と恋人が言った。
心、とは?心を休ませるにはどうしたらいいんだろう。心ってなんだ。私は、誰にもやれない怒りを泣くことに変えながら考えた。身体を休ませるにはこうしてゆっくりすればいいのだろうけれど、心も同じだろうか。でも何もしなくなって一か月。休むには十分すぎる時間を過ごしたし、今こうやって過ごしていると、自分のダメさに心が潰されるようで余計ダメな気がする。なんだよ、心って。
こころとはこころのさかひ白靴を少し濡らしてあさの砂踏む/魚村晋太郎『銀耳』
…答えも出ないまま私が八月に始めたのが、恋人の実家の桃農家の収穫作業の手伝いだった。自然の中で、桃をひとつひとつ丁寧に扱いながら心について考えた。結局、心を休ませる方法は見つからなかったけれど、桃を手にとりながら、心を物体化したらこのくらいの重さだろうか、と思った。桃の収穫は難しい。少しでも傷がつくと、そこからすぐに変色してしまい売れなくなってしまう。私は桃を慎重に扱いながら、どうにか壊れた自分を元通りにしようと試みた。






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