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今、ここ、どこか14 Yuuki

  • 執筆者の写真: 川上 まなみ
    川上 まなみ
  • 11月8日
  • 読了時間: 4分

更新日:4 時間前

2025年10月の日記 平尾勇貴



2025/10/XX

10月が始まってしまった。読みたいと思っている本、桜井晴也『愛について僕たちが知らないすべてのこと』、星野智幸『俺俺』、滝口悠生『長い一日』、町屋良平『ほんのこども』、大崎清夏『目をあけてごらん、離陸するから』、椹木野衣『日本・現代・美術』、吉田彌壽夫『現代短歌・作家と文体』。


2025/10/XX

高市早苗が自民党の総裁になった。史上初の女性総裁である。公明党の連立離脱というおもしろ政局トピックスはあったけれども、しかし国民民主か維新あたりが組んで首班指名がなされたら女性総理にもなるだろう。おめでとう。わたしは高市早苗とは思想的には全くといっていいほど相容れないが、それでも彼女が女性であるという一点において、薄皮一枚の肯定を挟んでしまうのが非常にやりにくい。この薄皮一枚の肯定、


なぜ女の作品を評するのがこわいのか。盗まれたくないから、どれだけこき下ろしてもそこに薄皮一枚の肯定を挾まなければいけないと知っているからだ。その薄皮一枚のことをここで仮にシスターフッドと呼んでみようか?その薄皮一枚の肯定は批評のキレを奪い、その薄皮一枚の言い訳のためにレトリックは精彩を欠き、それを以ってわたしは生涯二流の批評家にしかなれないことを知らされる。

/瀬戸夏子「誘惑のために」


批評はほとんど論じ方の発明にほかならない。瀬戸さんの薄皮一枚の肯定=シスターフッドという言いかたではじめてたちあらわれるような問題領域は、障害のあるわたし自身が障害について論じるときの問題関心と引き付ける際に十分な手応えを返すもので、ほんとうにありがたいという気持ちになる。


2025/10/XX

文章を書く気力がない。書き方を遊ぶことで自ら脳を動かしてみせる。

・わたしは七月に評論で賞を取ってから、原稿依頼をもらえるようになった。

・それは雑誌の編集者から字数とテーマと締め切りを指定され、それを満たす原稿と対価を交換するという仕組みで回っている。

・わたしは会社に副業申請を出した。

・わたしは副業とはいえ、短歌はもう仕事だ、と思った。

・わたしは短歌の歴史というでかいお神輿を担がされた気分になっている。

・受賞のことは必然的に上司には知られることになり、彼の机の上にはわたしの受賞号が置かれている。

・それは二か月ほど置かれている。

・それは浅みどり色の表紙である。

・それは上司の机にあると植物のようで目に良い。


2025/10/XX

依頼原稿の執筆が遅々として進まず、今月はもうずっと原稿の、それも公益なことを書かなければいけないというプレッシャーに頭を悩ませている。今月の余暇時間の多くは執筆に向けた先行評論の調査のためにほとんど使い、好きな小説も好きな批評も好きな映画も服屋めぐりも友達とやっているドストエフスキーの読書会もすべて止まっている。

同期が見かねてか、仕事帰りに映画を観に行かないかとわたしに言った。わたしはよろこんで承諾した。そしてわたしたちはウェス・アンダーソン「ザ・ザ・コルダのフェニキア計画」を観に、日比谷のシャンテへ行った。映画館でわたしはその日唯一の食事としてホットドッグを食った。映像は相変わらずぬるぬる平行移動するカメラワークとおしゃれな色遣いと構図の快感によって充実していた。


2025/10/XX

半年くらい前に新宿ゴールデン街で飲んだときにカウンターを隣り合い、その場のノリで仲良くなった七十歳のタクシー運転手のおっちゃんからここ数日毎日LINEが届いている。おそらく飲もうよということを言いたいんだろうけれど、それは意図が全くわからないいわゆる俺通信(ただ煙草を吸っているだけの自撮りを送ってきたり、通っているスナックのママの写真を送ってきたりしている)で、自分の身の回りにこういうコミュニケーションをしてくる人が皆無なものだからつい面白さが勝ってしまい、今度ゴールデン街のどこかのお店で飲むことになった。そのおっちゃんはとにかくコミュニケーションが雑すぎるのだが、こんな雑なコミュニケーションというものが現実にあっていいのか、という感動で嬉しくなってしまっている自分がいる。その人をわたしはMさんと呼んでおり、Mさんはわたしのことを下の名前+ちゃん付けで呼んでくるので新鮮である。


2025/10/XX

『葬送のフリーレン』の特にフリーレンの口癖「~だけれども」がかなり好きだ。


2025/10/XX

仕事が立て込んで頭から重たい泥を被ったような疲れ方をしたものだから、気分がそこそこ落ち込んで、職場でつるんでいる同僚をなかば無理やり誘ってシーシャへ行き、人生の話をしながらだらだらした。こういう同僚、たいへんありがたいよなと思う。つるんでいる始発が出るころにはわたしはもう眠くて解散したが、その人はまだ元気そうだった。


 
 
 

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