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今、ここ、どこか15 Rin

  • 執筆者の写真: 川上 まなみ
    川上 まなみ
  • 11月15日
  • 読了時間: 3分

母と妹の来米 長谷川麟



 八月に母と妹が初めてアトランタまで遊びに来た。家族がアメリカに駐在するというのもなかなかレアなことだし、こんなことでもなければ海外に遊びに行くということもまずないだろう。そういう意味では良いきっかけだったと思うし、私は結婚後すぐに海外に引っ越してしまったこともあって、妻と母――つまり嫁と姑がゆっくり話をする時間も取れていなかった。


そんなこんなで、せっかく遊びに来るのであれば妹も一緒に、ということになり、母と妹ふたりで来米することになった。アメリカに来るといっても、大した観光地があるわけでもなく、基本的にはショッピングや食事を楽しみながら、のんびりとした時間を過ごすことができた。


私と妻がふたりで過ごしていると、結局ふたりの趣味の範囲以上に、わざわざリスクを背負って足を伸ばすことはない。だからこそ、冒険家気質の妹と過ごしたこの五日間は、私たちにとって非常に有意義なものだったと思う。


私と妹は年子の兄妹で、小中高と同じ学校に通い、同じ部活に取り組んできた。読んできた漫画も、聞いてきた音楽も、好きなファッションも妹とはすこぶる気が合う。しかし、妹も私も結婚し、それぞれの家庭を築く中で、長谷川家の兄妹として培ってきた「カルチャー」のようなものを、いつしか忘れてしまっていた。


例えば、私はもともと古着やリサイクルショップが大好きで、そういうところで安くて意味の分からないものを収集する癖があった。これは長谷川家のカルチャーで、「訳が分からなければ分からないほど良い」という謎のものさしで物事を見ている節があった。


これに対して、妻はまるで正反対の価値観で、意味の分からないものは基本的にNOという感じだった。そんな妻と出会い、結婚生活を送る中で、いつしか私は「意味の分からないもの」から離れ、大人として「まとも」なものばかりを好むように、静かに教育を施されていたのだと思う。


だから何というか、今回の妹との買い物は、「買い物」という行為そのものの質感に、どこか懐かしさがあって、とても楽しい時間だったと思う。古着屋や雑貨屋を巡る中で、「これはなかなか渋い。」とか、「これは意味不明。(良い意味で)」とか、「こればっかりは一期一会。」など、二人の間でしか通用しない、物差しを振りかざしてまわった。妻はそんな私たちを見て、非常に冷たい視線を送っていた。


意味不明なものを楽しむというのは、私は豊かなことだと思う。でもそれは、時間的・金銭的・空間的余裕がなければできないことだ。結婚は、時間・お金・空間を他者と共有して過ごすことだから、当然、今までのように無茶な買い物はできない。けれど、今回買ったTシャツはなかなか良かったと思う。Tシャツくらいは、「まとも」じゃないものも選んでいきたい。社会性と個性との間で揺れながら、その揺らぎを楽しめてこその三十代なんだと思う。


後悔はしないと決めて海へ行くたとえ家族が泳いでいても/平出奔『了解』

 
 
 

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