今、ここ、どこか19 Rin
- 川上 まなみ
- 2025年12月13日
- 読了時間: 8分
一時帰国の際の歌の推敲の記録 長谷川麟
基本的に仕事、生活の往復のなかでエッセイに書きたいことがついに思いつかず、今回は「一時帰国の際の歌の推敲の記録」と題して、自分がどんな風に歌を推敲しているのかを文字に起こしてみようと思う。
9月に一時帰国をした際、大学のサークルの友達と一緒に高知に遊びに行った。私は今年で三十歳になる訳で、実際、時差ボケもあるし、できるだけのんびりと美味しい料理を食べたりして過ごせれば、それで満足といった調子だったけれど、メンバーの一人にアクティビティ好きのやつがいて、推すに推されてキャニオニングに初挑戦するはめになる。

写真は仁淀川の渓谷をおずおずと進んでいく私と私の友人である。この日は私たちに加えて、女子大生4人のグループと、たぶん社会人1年目くらいの男性4人グループと一緒に、急流を下っていくことに。まぁせっかくお金を払って、こんな格好までにしているのだから、なにか短歌のヒントになるものでも探しながら楽しみますか、と当初は余裕をぶっこいていたものの、いざ、キャニオニングが始まると、短歌を作る余裕などなく、、むしろ、だんだんと行軍じみてくるキャニオニングに体育会系の血がたぎりはじめた。
いくつかの沢を越え、滝を飛び降り、急流を流れて、気がつけばあっという間の三時間で、車に乗って施設に戻り、ウェットスーツを脱いて、シャワーを浴びて、アイスを食べて、あとは友達に運転を任せて爆睡という感じだった。
それから約1ヶ月半ほどの時間が流れ、いろんな感情や、景色が、自分のなかで咀嚼され、消化され、デフォルメされ、いよいよ短歌でも作ってみようかという気になる。
まずは今回のキャニオニングで一番思い出に残っていること、心が動いたこと、面白かったこと(変に面白かったこと)、家族に話すとして、どこを切り取って話すと一番面白いシーンだったかを振り返る。
そう思うといくつかの案が沸いてくる。
・キャニオニングを先導してくれる案内役のお兄さん(マイルドヤンキーふたつくらい年上)に「おい、坊主」と呼ばれる。
・先頭を行く女子大生チームが滝に飛び込むとき、初級中級上級の三つのエリアのうち、上級を選んだせいで、後続の男子チームが全員上級を選ぶはめになった。
・なんか、ウェットスーツ着てると余計太ってみえるから、嫌だ。
・女子大生チームのうちのひとりがなかなか飛び込めなくて、滝の上で自らを鼓舞する女子大生を滝の下からみんなでそれを眺めて待っている時間があった。
自分が家族に話すとして、思いつくのはこのあたりになるだろうか。ここから短歌にするのにちょうどいいテーマを絞っていく。
・キャニオニングを先導してくれる案内役のお兄さん(マイルドヤンキーふたつくらい年上)に「おい、坊主」と呼ばれる。
この話は、案内役のお兄さんの風体の説明を細かくすることで、私がいかにこのお兄さんを嫌いだったかを表現すること出来る。「おい、坊主」のいきり方のモノマネも、場合によっては必要となる。たぶん話すには面白い話だけど、短歌には向かない内容。
・先頭を行く女子大生チームが滝に飛び込むとき、初級中級上級の三つのエリアのうち、上級を選んだせいで、後続の男子チームが全員上級を選ぶはめになった。
この話も面白い話だけど、「勘弁してや・・・」と女子大生を、男達がみな冷めた目で見ているあの空気を描き切るには、三十一音では不十分。短歌のキャパを越えている話と言ってもいい。「男達」「女子大生」を入れ、滝に飛び込むシチュエーションまでは描ききれないのではないかと思う。
・なんか、ウェットスーツ着てると余計太ってみえるから、嫌だ。
悪くない内容だが、「ウェットスーツ」の詠み込みが必須というのが難点。歌にしたとき、なぜこいつが「ウェットスーツ」を着ているのかが気になる読者が出てくる。そうなると、「滝に飛び込む」や「キャニオニング」なども詠み込む必要が出てくる。そうなるとキャパオーバー。2首に分けて連作のかたちで、作り込むこともできる(1首目でキャニオニングの歌、二首目でウェットスーツの歌というように)が、これもあんまり好ましくないので、今回は却下。
・女子大生チームのうちのひとりがなかなか飛び込めなくて、滝の上で自らを鼓舞する女子大生を滝の下からみんなで応援する時間があった。
これは話のボリュームとして悪くないし、あの「女子大生」を待ってるときの、応援はしているけど、早く飛んでほしいという気持ちの揺れも我ながら人間味があると思う。妻にこの話を話してみたとして、爆笑は取れないけれど、雑談として、つまらない話という訳でもなく、相槌以上の返答(リアクション)を期待できる話題。こういうのが短歌の素材として必要十分だと思う。
短歌のテーマが決まったところで、今度は短歌の形に揃えてみる。何度か口にしてみながら、三十一音に当てはまる形を探っていく。
滝つぼに飛び込めなくて奮起する女子大生を下から眺める
それっぽい形に収まる。次に考えるのは、女子大生が滝の上で、自分で自分を鼓舞している姿をどう収めるか、ここに割ける音数は五音程度「奮起する(暫定)」しかない。「滝つぼに飛び込む」はこの状況を端的に表現する上で必要不可欠だし、「女子大生」という単語も他者の属性を表現するために割かなければならない。ここを「君」や「妹」と置き換えてしまえとそもそも表現したかったものが完全に変わってしまうからだ。私の場合、基本的にこのようなすり替えは行わない。一首で成功しても、連作や歌集に組み込んだとき違和感となることが少なくないからだ。そして、下の句では、私の立ち位置、立場、感情を示す表現が必要となってくる。そうすると、なんとか五音で、彼女の様子を表現する必要がある。
滝つぼに飛び込めなくて自らを鼓舞する女子大生を眺める
「自らを鼓舞する」と、少し丁寧に言ってみる。こういう処理もできなくはないけれど、やや説明的すぎる。あまりに説明的すぎて、まるで自分がそこの当事者ではないような遠さも出てしまい、これは私の思っていた歌ではない用に思う。やはり五音くらいに収める方向で、こういうのはどうだろうか?
滝つぼに飛び込めなくて奮闘する女子大生を下から眺める
「奮起する」のK音がなくなり、「奮闘する」の字余りにしたほうが、歌にまるみが出て良い気がする。きりきりした雰囲気ではなく、むしろ冗長さがでるのではないか。この歌にとってはそちらのほうが得をしていると考える。とりあえずこの方向で、さらに検討を進めていく。
次に下の句、「下から眺める」。もしくは「下から見ている」とかもあるかもしれない。ここでは、「私」の立ち位置が滝つぼの下であることを伝える必要がある。「私」と「女子大生(他者)」が、「滝つぼに飛び込む、飛び込まない」という事象を介して、なんらかのつながりがあることを読者に伝えたい。「滝つぼ」に対する「私」と「女子大生」の位置関係を明確にすることで、このようなつながりも暗に表現できれば、良い歌になっていくんじゃないかと思う。さらにこの立ち位置に角度をつけようとして、「拝む」なども良いのではないかと考えた。
滝つぼに飛び込めなくて奮闘する女子大生を下から拝む
確かに角度は付く。が、「拝む」という動詞は、「(下着を)拝む」などにも使われるような気がして、ましてや、「女子大生を下から拝む」というのはさすがに気持ちが悪い。なにか他のことを期待して、下から眺めているように表現に見えなくもない。こうしてみると、もともとの「女子大生を下から眺める」も、気持ちが悪いと思う読者もいるのではないだろうかと思いはじめる。
ここで、そもそも表現したかったのは「眺めていた」ことよりも「待っていた」ことではないかと気づく。「待つ」にすれば、関係性も付帯できるし、これは良い代替案ではないか?
滝つぼに飛び込めなくて奮闘する女子大生を下で待つ
→ 滝つぼに飛び込めなくて奮闘する女子大生を下で待ってる
→ 滝つぼに飛び込めなくて奮闘する女子大生を下で待ちつつ
「待つ」にすると今度は字数が足りない。そうなると口語体の「待ってる」や、言いさしの「待ちつつ」になる。しかし、字数のために語尾を調整すると、不要なニュアンスが付いてきてしまう。「待ってる」にすると、「私」と「女子大生」の距離が近くなりすぎる気がするし、「待ちつつ」だと、「早く飛び込んでほしい」という思いや、彼女に対する興味がそもそも薄まってしまう。するとやはり結句は「待つ」しかないいと思う。
となれば、必要だと考えていた位置を表す「下で」をなにか別のものに置き換えるしかない。もともと「下で」は「眺める」という視覚を表す動詞との相性がよく、よりその状況、位置関係を明確にするものとして機能していたが、「待つ」に変わった時点で、その効果は半減している。であれば、時間を表す表現を入れることで、「応援している気持ち」から「はやく飛べよ」へ、気持ちが移行していくときの、人間らしさを描けるのではないだろうか。
滝つぼに飛び込めなくて奮闘する女子大生を二十分待つ
シチュエーションがかなり具体的な場面だから、時間についても「長く」とか「しばらく」とか、抽象度の高い表現ではなく、「二十分」という具体的な時間にしてみた。なんで滝にいて、時間計ってるんだよ。と文句が付くかもしれないが、抽象的にするよりも良いというのが、今回の私の最終判断である。
このようにして、とりあえず最低限、自分の気になるところは抑えつつ、そのときの気持ちを短歌にすることができた。一度、どこかの歌会に持っていて、さらに意見を求めてみようと思う。






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