今、ここ、どこか22 Yuuki
- 川上 まなみ
- 1月10日
- 読了時間: 3分
2025年12月の日記 平尾勇貴
2025/12/XX
仕事終わりに銀座駅の地下コンコースにあるスタバへ。短歌雑誌に寄稿した評論のゲラがPDFで上がってきたのでチェックして、問題ないです、と早打ちして送信をぽち。ゲラをチェックするの好きなんだよな。言い回しを工夫して行数が減ったとき、おれの脳ではアドレナリンが分泌されている。何なら書き上げる作業よりも改稿のほうが楽しいまである。大江健三郎が改稿狂いという話をどこかで聞いたことがあるけれど、そりゃこんなに中毒性があるなら狂ってしまうよね。
2025/12/XX
晴れていてカラッとした、そこではすべてが乾いているような土地へ行きたい。
2025/12/XX
読書会の課題図書であった『カラマーゾフの兄弟』をようやく読み終える。文章のなかにはほとんど登場人物の自意識しかなく、何かの原液をごくごく飲まされているような気持になる。特に小説全体の物語にとって存在する意味が分からないパートがあり、通過するのが苦しかった。しかし批評をやるとしたら、なぜそのパートをドストエフスキーは書いたのだろうか、という問いから始めなければならないだろうが……。
全体的に『カラマーゾフの兄弟』は、文章の硬さ、あるいは登場人物の自意識がつよい抵抗となって、物語に入り込むまでに時間がかかる。カラマーゾフを読めるようになる時機はいつまでたっても来ず、無理やりにでも手当たり次第に、雑に読み始めてしまうしかない。それは、カラマーゾフを読むための心身の準備が整ったから読み始められるというようなものではなく、むしろカラマーゾフをとりあえずまず読み始めてみることで、その読書を通して自らの身体を、(まさにいま読んでいる)カラマーゾフを読めるような身体に作り変えていくことにほかならない。あるいは、この喩えでピンとくる人はあまりいないだろうけれど、読めないカラマーゾフを読むことは、実質を先取りするしかないという点でただしくルソーのいう社会契約のようだと思う/というより、おれにとってはそうでなければカラマーゾフを読むことの意味が分からない。
2025/12/XX
上野恩賜公園の東京藝大側にある広場のベンチで、彼氏のような人が彼女のような人が動画を見ているのを見ていた。それはとりわけ寒い日だったから。
2025/12/XX
内容はもう決まっているのに、そこへ至るまでの糸口が見つからなくて寝かせている文章がいくつもある。文章を書けることは、ほとんど糸口をつかむことと等しい。おれにとってはね。
2025/12/XX
年末の帰省の途中、新大阪で降りて葉ね文庫に寄る。黒井千次『時間』、折口信夫『言語声調論』、冨士田元彦『冨士田元彦短歌論集』。麻雀をやる友人と合流するまでの間、『言語声調論』を読むが、解説を読むとこれはどうやら折口の卒論らしい。圧倒的な才能が癖なのでつい嬉しくなってしまう。よく分からない。合流してからはエアビーで借りた家で夜通し麻雀をする。ある程度の可動域を保つために足のストレッチをするようにして、たまに実際に徹夜することで生活の手札に徹夜というカードを保持し続けている。
2025/12/XX
二十七年と二十四年の付き合いである地元の友達と、焼き肉とボウリングとファミレスと。





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