今、ここ、どこか26 Yuuki
- 川上 まなみ
- 2月7日
- 読了時間: 5分
2026年1月の日記 平尾勇貴
2026/1/XX
滑り台はじしんの歴史を、みずから示すようにして錆びていた。階段はところどころ腐食して穴が空き、手すりは表側が擦れて赤茶けていた。
(正月と、香川県三豊市高瀬町にある公園)
2026/1/XX
幼稚園からの幼馴染の結婚式。結婚式はただただ形式に従いながら進行していくことでだんだん儀式めく。「誓います」なんて結婚式か裁判でしか聞かない。
その日の記憶はふくざつな形をしている。結婚式での説教をした後の牧師の微笑み、それから式場の緞帳が上がって新郎新婦の後ろから正午のちからづよい陽射しが差し込んだ光景。後者は似た演出を何度か見ているが、そのなかでももっとも効果的ですぐれており、率直にいって素晴らしいものだった。それらのふかい印象を手掛かりに、周辺の記憶を思い出す。あるいは、その夜にエアビーの宿で新郎含め幼馴染同士で飲みながらやったワードウルフの「(睫毛につける)マスカラ」が村人だった回で、新郎が「今日おれの母さんはそれをつけてなかった」と言ったら、別の友人が「それは知らなかったが、その理由は分かる」と答えたそのやり取り、も、記憶に──こうして書くことによってはっきりと、残される。
2026/1/XX
終業後、新橋の居酒屋に友人と集合し雪国旅行を計画する。いくつかかれが示したプランには、意外もあった。
2026/1/XX
zoomで友人と加藤周一『日本文学史序説』の読書会。今回ははじめにから二章まで、記紀から万葉、古今新古今あたりまで。『古事記』には仁徳天皇が民家から煙が登っていないのを見て税を三年間免じたという象徴的な逸話があるが、その後ろにはその逸話の数倍の長さにわたって仁徳天皇の妻がメンヘラだとか、仁徳天皇がそんな妻に嫌気がさして浮気したみたいなゴシップが子細にわたって書かれており、このような本筋とは関係ない脱線こそが日本的だという加藤の批評。
2026/1/XX
サミュエル・ベケット『モロイ』(宇野邦一訳)のp132-133より、
〈私が手に入れたもの全部のなかで残ったものが何か、ある日言っておかなくてはならないと。しかしそのためには待たなければならない。もう何も手に入れることも、失うことも、棄てることも、与えることもできないと確信しなくてはならない。そのときはまちがえる心配もなく、最後に私の持ち物のなかで残ったものが何か言うことができるだろう。これで勘定はおしまい。いまはまだ貧しくなったり豊かになったりしているので、かといって私の状況が変わるほどではないが、いますぐ私が手に入れたもの全部のうち何が残ったか告げようとしても、それがかなり妨げになるのだ、私はまだその全部を手に入れたわけじゃない。〉
2026/1/XX
師弟制度と言います。ご存じの通り、短歌結社には教育機関としての機能があり、特に昭和の時代には選者である師が、投稿をする弟子の面倒を見、添削・指南などする具合だったようで、弟子は師との、結社だけでなく時にプライベートでの付き合いを通して短歌というものを会得する、かつてはそのような時代がありました……、/仕事終わりに近所のベローチェで吉川宏志『一九七〇年代短歌史』を読んでいると、次のような一節がわたしの目を引き留める。〈角川「短歌」一九七一年七月号に発表された佐佐木幸綱の「人間の声──私説現代短歌原論──」は、短歌史年表には必ずと言っていいくらい記載される重要な評論である〉。いちおうわたしも曲がりなりにも歌論を読んできたはずなのだけど、〈短歌史年表には必ずと言っていいくらい記載される重要な〉ことを初めて知ったありさまで狼狽え、その当該文献を急いで購入したのだった。
こうした必読文献の伝承はどこにおいてなされているか、やはり結社の、それも濃密な師弟制度のなかにおいてだろうか。今の歌壇の中堅世代は基本的に若手に対して謙虚でやさしく(率直に言えばどことなくハラスメントを恐れている印象もある)、若手を捕まえて問答無用で「お前には勉強が足りてない!!!これを勉強しろ!!!」と一喝し、たとえば折口信夫なんぞを手渡してくれるような人が全然居ない。大御所でも穂村さんとかだと、まるで若手同士で喋るかのようにして喋ってくれるから、もちろん嬉しいのだけれど、しかしもっと偉そうにしてほしいのに。あるいは歌壇の中堅どころの方々に見放されているという説を真剣に検討したほうがよいのかどうか。不特定多数に向けた、加藤治郎(アカウント名:@jiro57)による〈近代短歌は我々のベースである/徹底的に学べ❗️/アララギで言えば、正岡子規、伊藤左千夫、長塚節、斎藤茂吉、島木赤彦、土屋文明、近藤芳美、岡井隆まで/これらの歌人については誰にでも話せる/それがプロの歌人の第一歩だ/その上で、いかに独自の作品世界を築くか、なのだ〉
◇
蓮實重彦、あるいはかつて聴講したトークショーで数本の映画を挙げながら「これらの作品を観たことがない方々はこの講義を聞くのに相応しいとは申せません」と言ってのけた身長184cmの奇妙に姿勢のよい90歳近い老人が、映画批評界隈に権威として君臨しており、わたしなどはその存在と態度にふかく感銘を受けている。老人であること──それも、かような老人として権威を発揮する存在であること。そこには憧憬と恍惚がある。
歌壇の大御所でも唯一、馬場先生、あるいは小柄なしかし異様に握力が強い98歳に、さる日の評論賞の授賞式でわたしの受賞作品について「次は私にも分かるように書いてね」とにこやかに言われ、背筋に冷たいものが走り、しどろもどろに言葉めいた何かを不明瞭に発して、最後にようやく「精進いたします」と絞り出すほかないさまだった。帰宅してすぐ、馬場先生の書かれた歌論を注文したのは言うまでもない。とはいえ先日出した『短歌研究』の韻律論は、(もちろんわたしには書くことにふかく意味のあるものだったが)馬場先生にとっては冗談かもしれず。しかしわたしが古代歌謡や窪田空穂のいうような調べを踏まえてみずからの韻律論に接続するためには、馬場先生にあと五年か十年は生きてもらわないと困る。/……ないと困ります。急ぎ精進します。





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