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今、ここ、どこか37 Manami

  • 執筆者の写真: 川上 まなみ
    川上 まなみ
  • 5月9日
  • 読了時間: 4分

父からの手紙 川上まなみ

 


 片付けのできない母が珍しく書類の整理を始めた。私と妹が「いい加減に片づけて!」と口々に言ったからだろう。母は重い腰を上げた。


 しばらくして母は、「これを捨ててください」という書類を袋に一杯もってきた。母は本当に片付けが嫌いで、だからこの一杯を作り出したこと自体が褒められるべきことだった。私も妹も母も、物持ちである。服も靴も、タオルも、化粧品も、3人にしては多い量がこの家の中にあって、お互いに「これ使ってないなら捨てなよ。」と言い合い、自分のものは捨てない。私の夫はそれに呆れていて、たまに「本当に物が多いよね。」と私に言う。それでも私が本や服を手放すことはない。


 その書類に一応目を通しながら、いらないものをシュレッダーにかけていると、一つの封筒が現れた。封筒には癖のある字で「中田みゆき様」とある。母への手紙である。母に「これ、捨ててもいいの?」と聞くと、母は「うん。それ私のお父さんからの手紙だから。」とさらっと言った。すかさず妹が「えー!お父さんからって大事じゃないの?」と言い、私が「開けてみよ。」とすかさず手紙を開けたので、居間にいた全員がその手紙を覗くこととなった。


 「みゆき、元気で通学してゐますか。」と始まったその手紙は、やはりどこか癖のある字で、しかも旧かなづかいで書かれている。私の祖母、つまり母の母も旧かなで文字を書くので、この世代の人は旧かなを普段から使っていたのだろう。「一生県命にみんなの言はれることをすなほに聞いてしっかり勉強してくれ。」(原文ママ)と書くその文に漢字の間違いがあってどうする、という国語教員のつっこみはおいておき、そこには父の愛溢れる手紙があった。私たちが生まれる前に死んでしまった祖父(母の父)なので会ったこともない、どんな人かもしらないが、なんと素敵な手紙なのだろう。


 中学2年生で習う国語の随筆教材『字のない葉書』の中の向田邦子の父のような、手紙でしか素直になれないような父だったのだろうか。『字のない葉書』は私の大好きな教材で、何度も何度も繰り返し読み、繰り返しいろんな生徒に教えてきたのだけれど、時代が違う私には完全に主人公の気持ちを理解することはできない。しかし、私の母の手紙を読みながら、私は向田邦子が父の手紙を読みながら少し不思議な気持ちになるのを追体験した。手紙には、こう続いている。「やかましいお父さんが居なくなったのでうれしいだろうかそれともさみしいだろうか、と考えながら書いてゐる。」昭和の男である祖父が、こんな風に書いているのを愛おしく思ってしまう。


 祖父はこの手紙が孫の私に読まれることを想像すらしていなかっただろう。母が整理をしはじめ、私がこのゴミの書類に目を通さなければ、この手紙を読むこともなかった。母には、妹が「一応、これは取っといたほうがいいんじゃない?」と言ったので、この手紙はしばらく居間で保存することとなった。


 手紙は、こう締めくくられている。「神岡のおまつりに来てみゆきの美しいすがたが見たいけれども、休みがないので行けません。おまつりにはあまりたべすぎて病気にならぬよう気を付けてください。又、家の手伝いもおねがいします。」居間にいた妹と私の夫とで顔を見合わせて、「娘に“美しい”なんて、びっくり。」「なんかすごい愛されてたんだね。」「愛されてたというか、口説いてる感じ…」というと、母はこう続けた。「女の人が好きな人だったからね。この手紙も、名古屋の単身赴任先から届いたんだけど、その部屋に女の人連れ込んでたから。」…なんとも、最悪で最低でバカで、でも愛おしい男だったのだろう。この手紙は、娘への愛に溢れた父親像としてだけではなく、女好きだった男の昔話も一緒に、もう少しだけ我が家に保存することとする。


 最近読んだ歌集の中に白い封筒の歌があったことを思い出した。保存してあるこの手紙と重なって、この歌が頭を離れなくなっている。母は、死んだ父に「会いたい」と思ったりするのだろうか。


会いたさよわたしの胸のうちがわに湿りはじめる白い封筒/田村穂隆『霧に貌』

 
 
 

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