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今、ここ、どこか43 Hika終

  • 執筆者の写真: 川上 まなみ
    川上 まなみ
  • 7月4日
  • 読了時間: 4分

最初に背中 武田ひか



 『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』というエッセイの本には、DJ松永があとがきの文章を寄せている。それは「俺はあなたのラジオを聴いていました」という語り出しからはじまって、そもそも個人的な手紙という題がつけられたように、若林へ感謝を伝えるとてもパーソナルなものだった。


 どこで何を喋るかは、小心者にとっては頭を悩ませる問題で、こんな身分なのだから何を言っても伝わらないと卑屈になったり、それならば権威になってからしゃべってみようと思えば、日本の梅雨は濃くなるばかり。もうそういうじっとりしたのはやめようと言っていても、しかし次から次に湧いてくる浅ましい考え方にほとほと嫌気がさしてくる。


 けれども自意識はまた別として、声を大きくできるタイミングというものも確かに用意されている。新人賞の受賞スピーチなんかはそのひとつだろう。じゃあいつか来たる日まで大事なことは胸の中にしまっておくかーと、そんなふうに思っていたけども、人は必ず死ぬのだということに最近気がついた。おれもみんなも永遠に二十七歳ではなく、二十七歳になる赤ん坊たちも、いつかはどこかで死んでいく。


 DJ松永は死ぬ前に若林さんに手紙を書けてよかった。棺桶に入ったらもう遅い、遺言状で泣かすのもちょっと違う。要するに死者なら手紙は書けないし、死者宛の手紙は届かない。


 わたしにも胸にしまっていたことがある。


 つまり東直子さんにはじめて短歌を送ったのは、公募ガイドという雑誌がかつて持っていた「短歌の時間」という欄をつうじてだった。


 たしか2019年の終わり頃、短歌をはじめて、いろんな歌集を読んだ。いまはどうなっているのかわからないが、当時手に取りやすかった『たやすみなさい』『カミーユ』『砂丘律』とかに加えて、『春原さんのリコーダー』『えーえんとくちから』は文庫本で、お金がなかったときでも手に取りやすく助かった。


 加えて当時はいまよりももっとタイムラインを見ていた。タイムラインに流れてくる短歌を「つまらない」と言う人は当時たくさんいて、まあ玉石混交なのは当たり前だとしても、その発言は申し訳ないのですが2020年時点ではポジショントークと怠惰にしか見えず、またうたの日の薔薇のなかには玉も当然光っていたと素直に思う。思っていたことも今ここに書いておきたい。


 タイムラインの歌をみていると、たくさんの人が投稿欄に歌を投げ入れているのがわかってくる。たとえば目を引いたのは野生歌壇という場所で、そこではステッカーがもらえた。特段ステッカーが欲しかったことなどないが、そのステッカーは欲しかった。もらうまえにその欄は閉鎖されてしまったのだが。


 野生歌壇を知ったのはしばらく後だったから、はじめての投稿は「短歌の時間」だった。紙を使うのは厳しかったので、ネットで送れるものを探して「短歌の時間」に送った。正直に言えば、東直子の名前よりも先にネット応募の便利さが心に来ていた。


 ネット応募の結果としては特選だった。それまでの人生で一冊も雑誌を買ったことがなかった若者も、うれしくて自分の歌が載っている雑誌を買って帰った。好きなものを書いて送ったら読んでもらえるんだマジかという体験であり、承認の経験でもあり、またそのように自作を読んでもらえるのは思っているよりも普通のことではない。東さんに一首を選んでもらった最初の体験は生涯わすれることはないだろう。


 そのときに選ばれなくても短歌は作り続けただろうが、ぶらんこで最初に背中を押してもらったら、その力を使ってより速く漕いで行けるようなものだと思う。もしくは水泳の蹴伸び。けれどぶらんこや蹴伸びと違うのは推進力がいつまでたっても失われないことで、それどころか感情に尾ひれがついていくように、嬉しさは衰えるどころか輝きを増している。


 東さんにもらったものは実はもうひとつある。いただいたのは『短歌タイムカプセル』という本で、じつはこの本が最初に読んだ短歌の本で、これも東さんが監修に入っている。青いタコの表紙の本が当時通っていた大学の生協に売ってあって、まだ短歌を読んだことがない人がいれば勝手に本棚に差してあげたいくらい良い本だった。この本で短歌っておもろいなと思ったことが今に至るきっかけなので、東さんにはプレゼントを二個もらったようなものである。


 東さん、あの日採ってくださったおかげで短歌をさらに楽しみながらやってこれてます。飽き性な自分なのに、あの日から一回たりとも短歌をつまらないと思ったことがありません。新人賞とか獲った時に格好つけて言えたらと思ってたんですけど、最近はいろいろ大変なので言える時に言っておきたかった。5年後、10年後に何か良いことがあったら、同じように感謝を書くかもしれません。それで、これからもぼちぼち健康でいてくださるとうれしいです。あのときはありがとうございました。

 
 
 

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