今、ここ、どこか5 Manami
- 川上 まなみ
- 9月6日
- 読了時間: 3分
更新日:9月18日
夢で見る・夢に見る 川上まなみ
※7月にアイルランドで書いた文章を掲載しています。
三時半に一度目が覚めた。三時台に起きるのは久々だった。教員をしていた頃は、毎日三時に起きてあんなに必死に働いていたのに。今はたいてい七時に起きて、「学校行くのだるいなぁ」と思いながら語学学校に行く準備を始める。教員の時は先生としての立場だったが、今は生徒として生活している。なんだか面白い。アイルランドの三時、もうすでに外は少し明るくてカモメの鳴き声が窓の外から聞こえてくる。私はその声を遠くに聞きながら、カモメが空を飛ぶ画を勝手に想像し、想像したところでまたぷつりと眠りに入った。
時々、まだ授業をする夢を見る。最近見た夢は、授業の導入部分がすごく上手くいって、生徒たちが大盛り上がりで国語の授業を受けている、というものだった。私も楽しくて楽しくてしょうがなくて、「国語の先生になってよかった」と夢の中で思った。
教室が揺れていた夢それよりも教室にたったひとりだったこと/大松達知『ばんじろう』
この歌を歌集に読んだとき、教師はみな教室の夢を見るんだなぁと感じた。私だけではなかった。どんな状況の夢かは、きっとその人の経験や立場によるだろうけれど。
不思議だ。教員の頃は成功する夢はほとんど見たことが無かったのに。今でも思い出すのは、初めて先生として生徒の前に立つ日、絶望するような学級崩壊の夢を見たことだ。私がどれだけ大声で話しても注意しても生徒がそれを無視して、席を立ったりおしゃべりしたりしている夢。こんな現実が待っていたらどうしよう…と思っていたが、実際にはもちろんそんなことは起こらなかった。しかし、そういう夢は何度も見た。授業中、どんなに投げかけても生徒が一言もしゃべらずただ無言で座り続けている夢、生徒全員が教室から出て行ってしまう夢、私の目の前で殴り合いのけんかを始めてしまう夢…そんな夢から目覚めると、私はどっと疲れていて身体は重くて、でもそれでも仕事に行かなければいけない現実に向かわなければならなかった。
授業が楽しい!という夢を見て少しだけ驚いた。私はまた授業がしたいんだな、と思った。教員の時は、日々の仕事に疲れて常に緊張していたからあんな夢を見ていただけで。
実はアイルランドにいながら、岐阜県の学校の先生の授業や研究の手伝いをする仕事を時々頼まれることがある。ここまで来て何をやっているんだ私、と思いながら少しだけ嬉しい。教育現場が私を忘れないでいてくれることが、必要としてくれることが。帰った時に私の居場所があればいいな、とそう思う。
別の日は吹奏楽の部活をしている夢、さらに別の日は初めて教員として働いた学校の夢、日本で家族と一緒にご飯を食べる夢、結婚式に参加する夢、なぜだか有名な歌手のライブにゲスト参加する夢…こちらに来てからたくさん夢を見ている気がする。面白いことに夢の中で英語を話している日もある。なぜこんなにも夢を見ることが増えたのだろうと思いながら、私は今日も眠りにつく。
その日、二度目に目が覚めたのは六時だった。カモメは三時に起きたときと同じように鳴いている。夢は見なかった。遠くでカモメが飛んでいるようなうっすらとした夢を見ていた気もする。夢を見ると、たいていはその夢をうっすらと意識に閉じ込めて朝を生活するのだが、今日はどうやら私の無意識下に何羽かのカモメが飛んでいるような気がする。アイルランドの曇りの朝は、そうやって始まった。
追記。つい昨日、夜九時頃に眠ってしまい起きたのが朝四時だったのだが、外は全く明るくなくしかもカモメは鳴いていなかった。私は夢と現実がよく混同してしまうことがあるので、三時半に目が覚めたこと、あの時聞いたと思ったカモメの鳴き声自体夢だったのかもしれない。

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