今、ここ、どこか6 Yuuki
- 川上 まなみ
- 9月13日
- 読了時間: 5分
2025年8月の日記 平尾勇貴
2025/08/XX
仕事が忙しい時期がしばらく続いたときに、近所の銭湯でたっぷりお湯に浸って、サンダルで夜中の下町通りをぶらぶらすることで回復する身体をひとつ持ち合わせており、これはじぶんが持ち合わせているもののなかでは傾向と対策ができるぶんなかなか便利だ。
ときにより遠くまで足を伸ばして公園の池のぐるりをてくてく歩いたりもするのだが、てくてく歩くという、その一日を過ごしたことによる身体や思考の歪みをチューニングしてデフォルトに戻す機能がじぶんの身体にはあり、使いこなし方がなかなか年々上手くなっている。
2025/08/XX
ひとが何かを語るときに、その人が当事者なら、その当事者ならではの迫力があるじゃない? 東日本大震災の被災者によるあの日の語りにはおもわず聞き入ってしまうとか、目が見えない、耳が聞こえない身体を生きることについての語りには特別な意味があるとみなされるとか。戦時中を生きたことのあるおれのばあちゃんの話は、
いまから80年前の夏のある暑い日、瀬戸内海のあるちいさな島に住んでいた当時9歳のわたしの祖母はその兄弟たちと島の海岸へ向かい、
貨物船が、何と言ったかなあ、たしか雄洋丸という名前だったかが島の沖あいで座礁して、そんでその次の朝にはイギリスやらアメリカやらの戦闘機の編隊がばーっとやってきて、その座礁した船へめがけて爆撃して、雄洋丸は対空砲火で反撃したの。それで結局、戦闘機は撃墜されて、島の大人たちみんなでその戦闘機のパイロットを島の砂浜に引きずり出して……、それはもうー、ほんに恐ろしかった、という話を祖母から何回目かに聞いたのは、わたしが今年のお盆に実家の香川に帰省していたからで、そういえば9歳の祖母が恐ろしかったのは敵国の兵隊なのか、それとも近所の大人たちなのか、今回も聞きあぐねたなと東京へ戻る新幹線のなかで思いをめぐらせることになり、
その後わたしが文献やインターネットで調べたところでは、祖母がそれを目撃したのは1945年7月24日の午前10時頃で、異国のちいさな島で死んだ連合軍のパイロットはベンドーアという名前のイギリスの海軍中尉の男、かれの遺体は憲兵隊の手によって近くに埋められ、戦後あらためてかれをふくめた米英の戦死者たちは慰霊のうえ、十字架の立つ墓地へ移されることになったのだが、祖母はそこまでは話していなかったのだった。9歳と89歳の祖母にとってのあの恐ろしかった戦争──
のことを考えても、じっさいにおれが生きているのは現在の東京で、おれは30歳で、とくに徴兵もされていなければ、戦禍にも巻き込まれておらず、2025年に日本の東京で戦争について考えるということはどういうことか。2025年の東京のめちゃくちゃ暑い夏には、たしかに戦後80年ということで8月6日の広島の原爆、8月9日の長崎の原爆の惨劇を振り返る番組が放映され、時の総理大臣・石破茂が広島の平和式典で、原爆の悲劇を詠った歌人・正田篠枝の〈太き骨は先生ならむそのそばに小さきあたまの骨あつまれり〉を引用したスピーチを行ったようにして、戦後を生きるおれたちの責任として(責任として、ってなんだろう)語り継いでいかなければならない、戦争──
とは、なんだろうかと本を読んでも読んでも知識がたまっていくばかりで実感を伴わないからいっこうによくわからなくなるだけだ。
について、聞かれてもおれは死ぬまで殺し合いはしたくないという感想しか持ち合わせていない。
が、現在進行形で起きているウクライナもガザもかれらが主権をもったうえで平和が回復してほしいと思うばかりだ。
のことは、……。
2025/08/XX
本屋をぶらぶらあるいていたら、戦後80年だから戦争について考えようという特集の棚があって、そのうちの一冊『ぼくらの戦争なんだぜ』で高橋源一郎が「戦場なんか知らなくても、ぼくたちはほんとうの『戦争』にふれられる」なんて言うから、ふーん、そうなんだ、買ってみようかな。買ってみたんだけど、やっぱりというか、ますます分からなくなった。高橋源一郎は作品のなかにある戦争を語る言葉を手がかりに文学の話をするから、まあかれならそういう風に話すよね、それはそうなんだけど、例えば文学作品を読むおれたちにとって他者としてあらわれる戦争の経験者、かれらかの女らの、おれたちとは違う、〈向こう側にいる人〉感、そっちのほうを手掛かりにしたほうが、テクストに文学性を見出すことでわかんないことをむりやりわかろうとするより……、
世の中にはさまざまなものが存在するが、そのひとつに『短歌研究』っていうざっくり短歌が好きな人たちが買う雑誌があって、その雑誌には短歌がたくさん入っているんだけど、そのなかのひとつに、
かけがへなき國體と言われても戦争も出産もあたしでしょう?
※「國體」に「アイデンティティー」のルビ。
※『歌壇 2025年2月号』で発表された高島裕の連作「アイデンティティー」にある〈遠つ代の冥きより曳くひとすぢの白光 かけがへなき國體〉(※「代」に「よ」、「冥」に「くら」、「白光」に「びゃっこう」、「國體」に「アイデンティティー」のルビ)の歌を本歌取りとして参照していると思われる。
/川谷ふじの「最晩年」『短歌研究 2025年9+10月号』
このように引き受けることによる、〈おれたちの〉、戦争──
2025/08/XX
読もうと決めていたベケット『モロイ』の読書は進まず、今月はずっとほとんど戦争について考えているような気がする。
2025/08/XX
だからか、こんな風景にも建物が破壊されている感じを見出してしまう。

2025/08/XX
だめだ、おれは戦争についてなにひとつ分からない。
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